岸田文雄首相の息子である岸田翔太郎さんが、2022年末に親族たちを首相公邸に集めて忘年会を行っていたことが明らかになりました。
“バカ息子”と世間から批判を浴びている岸田翔太郎さんですが、首相の秘書になる前は三井物産で働いていたそうです。
今回は岸田翔太郎さんの三井物産での評価や部署、役職についても調べました。
岸田翔太郎の三井物産での評判は?
岸田翔太郎さんの三井物産での評価は、とても良かった様子。
ネットニュースには、三井物産の現役社員のコメントが掲載されていました。
岸田文雄首相の長男である翔太郎氏は、慶大卒業後に三井物産に入社。「“キッシー”と呼ばれ、誰からも好かれていた」(現役社員)という。
“公用車でお土産”岸田翔太郎氏 騒動後「官邸ではマスコミ避け」の現在…周囲は「ジジ殺し」「有能秘書」と評価も
周囲から好かれていたという岸田翔太郎さん。
めちゃくちゃ仕事ができたとか、そういう情報がないんですよね
そのため、世間の一部の人からは「人柄が良いだけで仕事はできないのでは?」とも言われています。
実際に岸田翔太郎さんが三井物産にコネ入社をしたのかは分かりません。
しかし、父親が政治家だとコネ入社を疑われるのは仕方がないのかもしれませんね。
岸田翔太郎の三井物産の部署はどこだった?
岸田翔太郎さんが三井物産のどこの部署に勤めていたのか、ハッキリしたことは分かりませんでした。
ただ、三井物産に入社後は東北支社に配属されていた様子。
何で事務室事業促進チームに所属したと思うの?
それは、岸田翔太郎さんが2018年に携わっていたとある事業が理由。
岸田文雄首相が漁業関係者らと交流した際の様子を報道した記事に、こんな記載が…
岸田氏の長男で秘書の翔太郎氏が商社勤めをしていた平成27年ごろ、震災復興に向け、水産加工品の海外への販路開拓などを手がけた縁もあるという。意見交換には翔太郎氏も参加し、地元の漁業関係者との旧交を温めていた。
岸田氏、震災被災地の漁業関係者と交流「復興は新しい段階」
記事を見ると、岸田翔太郎さんが2018年ごろに震災復興の一環として水産加工品を海外へ輸出するための販路開拓を行っていたことが分かります。
そこで、三井物産の東北支社が行っていた水産加工品を海外へ輸出する事業について調べました。
インタビュー記事を見ると、三井物産東北支社の業務室事業推進チームという部署の方が事業の内容について詳しく語っています。
記事見ると「気仙沼ブランドの水産加工品を東南アジアに向けて販売するべく、販路拡大を目指している」と記載。
インタビュー記事に書かれた事業は、岸田翔太郎さんが取り組んでいたとされる水産加工品の販路開拓事業と一致するのではないでしょうか?
このことから、岸田翔太郎さんも「業務室事業推進チーム」に所属していたのでは?と考えられます。
とはいえ、岸田翔太郎さんが三井物産でどの部署に配属されていたのかハッキリとした情報はないです。
「業務室事業推進チーム」に所属していたのか「食料本部」に所属していたのか…
どちらに所属していたのかは分かりませんが、水産加工品を海外へ輸出する事業を行っていたことに間違いはないですね。
岸田翔太郎の三井物産での役職は?
岸田翔太郎さんの三井物産時代の役職を調べましたが、分かりませんでした。
岸田翔太郎さんが三井物産に勤めていたという情報は、週刊誌をはじめ多くのネットニュースで報じられています。
ただ、ネット情報になりますが岸田翔太郎さんは2020年ごろに中東へ転勤の話が出ていたそうです。
しかし、将来は父と同じ政治家になろうと考えていた岸田翔太郎さんは
ここで転勤してしまうと政治家になる時期が遅くなるのでは?
と考えて、転勤を断ったとか。
岸田翔太郎さんが出世コースを歩んでいたと考えると、三井物産内では仕事ができる人物だったのかもしれません。
ただ、三井物産で部長になるまでは平均で27年かかるようです。
岸田翔太郎さんは三井物産に10年も務めていないので、おそらく三井物産では特に役職がなかったと思われます。
岸田翔太郎のwiki風プロフ
岸田翔太郎さんのwiki風プロフィールを紹介!
【岸田翔太郎】
生年月日:1991年1月14日
出身地:広島県
出身高校:修道高等学校
出身大学:慶応義塾大学
岸田翔太郎さんの年齢は、2023年5月現在で32歳です。
京都大学や東京大学などに進学する卒業生も多いです。
その後、岸田翔太郎さんは慶応義塾大学法学部政治学科へ進学しています。
ちなみに、高校と大学時代の友人が語った岸田翔太郎さんの印象は
・真面目でいい奴
・見かけはチャラい印象だったが、根は優しい
・政治家の息子だと周囲は知っていたけど、目立つ人ではなかった
といった感じ。
学生時代は特に目立つことなく、優しい真面目な人物といった印象だったようですね
そんな岸田翔太郎さんの特技は、バトミントン。
また、大学に進学してからもバトミントンは続けていたようです。
そして、大学を卒業後は三井物産に就職。
三井物産は三井グループの御三家とも呼ばれており、平均年収はなんと約1,500万円!
三井物産での詳しい仕事ぶりは分かりませんが、真面目な性格で周囲から慕われる人物だったようです。
岸田文雄首相の秘書になったのはいつ?仕事ぶりは?
岸田翔太郎さんが議員秘書になったのは、2020年。
三井物産で働いていた際に中東へ転勤の話が出たようですが、この話を断って父の事務所で公設秘書になっています。
ちなみに、公設秘書の年収は平均で540~800万円。
三井物産の平均年収に比べたらかなり安く感じますね…
首相秘書官の年収は具体的には不明ですが、過去には1000万円以上になったケースも。
そのため、首相秘書官になれたのは父親のコネでは?と世間から批判の声が上がりました。
ただ、岸田文雄首相は息子に政治家になってほしかった様子。
つまり、自分のそばに置いて息子に政治を学ばせたいと考えたのでしょうね
また、一部報道では「岸田文雄首相が政治の悩みを相談するために息子を秘書官に任命した」とも言われています。
「翔太郎氏は淡々と各社の取材日程を調整したり、対外的な日程編成を組んだり……というタイプです。総理が自民党総裁選に出たとき、彼が広報担当でよく話しましたが、各社の依頼をほぼストレスなしに捌く、普通に“有能な秘書”という印象でした。私は好感を持っています」
“公用車でお土産”岸田翔太郎氏 騒動後「官邸ではマスコミ避け」の現在…周囲は「ジジ殺し」「有能秘書」と評価も
政治を扱う記者たちからはかなり評判が良く、有能な秘書という印象だったようです。
ただ、岸田翔太郎さんが首相秘書官になってから次々と問題が起こり始めます。
岸田翔太郎さんが過去に起こしたトラブルがこちら
2022年10月 岸田翔太郎さんに情報漏洩疑惑
2023年1月 外遊先で観光三昧が報じられる
2023年5月 首相公邸で忘年会を開催していたことが報じられる
最初に岸田翔太郎さんが起こしたトラブルは、2022年10月。
岸田翔太郎さんが首相秘書官に就任してから、官邸内でも限られた人しか知らない情報が外部に漏れていると報じられます。
そして、情報を流しているのはフジテレビ所属の女性記者だとか…
ただ、情報漏洩の件は本当に岸田翔太郎さんが原因だったのか不明です。
ちなみに、女性記者はとてもキレイな方だそうですよ
そして、岸田翔太郎さんが次に起こしたトラブルは2023年1月。
父親である岸田文雄首相の外遊に同行した岸田翔太郎さんが、公用車を使って観光をしていたと報じられます。
ただ、この件については岸田文雄首相が「視察や訪問だった」と弁明しました。
でも、岸田翔太郎さんは周囲に「パリやロンドンを観光したい」と話していたようです
最後に岸田翔太郎さんがトラブルを起こしたのは、2023年5月。
岸田翔太郎さんは2022年の年末に、首相公邸で忘年会を行いました。
集められたのは、従兄弟を含む親族10人ほどです。
忘年会の事実が明らかになった直後、岸田文雄首相は「厳重に注意をしたので処分はしない」と話していました。
しかし、世間から批判を浴びたことで岸田翔太郎さんはすっかり自信を無くしてしまった様子。
「翔太郎秘書官が『もう辞める!』と言ってきかなかったそうです。岸田首相は更迭については否定していましたが、本人の心が折れてしまっており、『もう仕方がない』と辞職を認めたそうです」
「公邸で忘年会」の岸田翔太郎秘書官、心が折れて自ら「もう辞める!」母も“悪ノリ撮影”かばい切れず
真面目で有能な秘書だと記者から評判だった岸田翔太郎さんは、トラブルが明るみになったことでメディアを避けるように。
性格も内向的になり、このまま政治家になるどころか首相秘書官を続けていくのは難しいのでは?と言われました。
自業自得とはいえ、ここまでトラブルが続くと世間の目が怖くなりますよね
商社マンとして出世コースを歩もうとしていた矢先、父親と同じく政治家になろうと努力していた岸田翔太郎さん。
しかし、残念ながらトラブルが続いたことで政治家になることは難しくなってしまいました。
岸田翔太郎さんが本当にやりたいことは何なのか…
今後はご本人が一番輝ける仕事ができるといいですね
岸田翔太郎に関する記事はこちら↓